祝30歳 20代を振り返る

あと30分ほどで30歳になってしまう(書き始めたのは23:30、途中休憩あり)。

今思えば20代は長かったのかもしれない・・・。

(20歳)
友人と成人式にM-1優勝する前の中川家が出るということで、某アゼリアホールに行ってみるも「静かにしてください。ネタに入れません。」でネタを見る事はできなかった・・・orz。漫才というものを見るのは初めてだったんだが、静かでないとネタができないというのは初耳だった。
結局適当な下ネタで終わったんだが、それでも面白かった。やっぱりプロの下ネタは違うなぁと思ったものだ(笑)。

(20歳前半)
将来は研究職につくぞ!!と思っていて(まさかドラッグストアで働くなんてこのときは想像もせず)猛勉強中。この頃から授業中にやたらとしゃべりまくる女子どもを敵視するようになる。

大学の国家試験向けの講義だけでなく、普段の授業でも良い席を確保するための女子どもとの座席争いは熾烈を極めた。

当時、3人掛けにオーソドックスな大学の机にσ( ̄。 ̄) オイラが1人座ると、残り2席が開くんだが、ここに「となり良いですか?」と決まっていつも座りに来る女子がいたんだが、ギリギリに来て余裕でとなりに座るその態度に無性に腹が立ったのを憶えている。理由はわからんが。


無事試験も合格し、大学院に行くも悪の限りを尽くし遊びまくる。この頃が一番勉強していたんだが、人生には本を読む以外にも学ばなければならないことがある・・・ということに気づくのはおよそこの3年後である。


ちなみに就職後の研修が三重県であったことから、何か足が必要である、ということになり緊急で原付免許を取得することとなった。原付で青山高原まで行ったというと変人扱いされたのは良い思い出である。
一方、比較的走りやすい三重県の道で2輪車の快感に浸ったころが後のσ( ̄。 ̄) オイラの趣味を決定づけたといっても良いかもしれない。


(20代後半)
無事研究職につきバラ色の人生が始まると少し思った。俺はこれで食っていくんだ・・・と大学で勉強していたことは、薬学から高分子関係というか材料的なジャンルに移っても多いに役に立った。

その一方、風俗デビューもこの頃である。寮生活だったσ( ̄。 ̄) オイラにはそこそこ金があったので、いろいろと情報を集め、電話を掛けて行った。最初は、諭吉を溝に捨てる覚悟で言ってみたんだが、意外と面白い。相当口下手なσ( ̄。 ̄) オイラでもそこそこ喋れるし・・・。もしバイクに乗ってなかったら嵌っていたかもしれん。


大阪に戻ってきてバイクの免許を取ることになる。理由は、公道の真ん中を堂々と走りたいから。もっと具体的には中環をどうどうと100kmで走りたいからである。
後に、本当に100kmで走って一発で免停になったのも今となっては良い思い出である。
「みんな出し取るやん!!と。」


大阪に戻ってきてとうとう薬学関連の内容の仕事になったとき壁にぶつかる。


”ザ・人間関係”


上司との関係、少し上の先輩との関係、同期との関係、全てが上手く行かない。積極的に輪に交わるべく、若手がやるべき仕事に積極的に手を挙げ、バイクに乗る恐い上司とのツーリングにもこれまた積極的に参加し・・・と、内向的なσ( ̄。 ̄) オイラとは思えないほど活動的だったんだが、暖簾に腕押しとは正にこのこと。何にもしてない奴の方が上手い事打ち解けてるやないか?
禁煙していたタバコも年寄り連中の輪に混ざっていくために復活させた。タバコはσ( ̄。 ̄) オイラにとってゴルフと同様の意味を持つ。健康がどうのこうのなんていう理由で止めることはない。


転職という手段をとった今なら気楽に振り返ることもできるが、当時はもう本業の仕事なんか頭に入ってこなかったし、なんせ仕事自体が面白いと感じる事が全く出来なかった。


(28歳)
転職。
辞めるといったら辞める人間であるhumigoroは6ヶ月間ニートになった。1年は何もしなくても生きていけるはずだった貯金が、税金やら年金やらで物凄い勢いで減っていく(笑)。

「これが働かないってことか・・・。」

とぼとぼとハローワークに赴き、まぁそこそこバイクに乗りながら食っていけそうな給料のところを探した。それが今の会社である。

志望動機は「食っていけたらそれで良い。」


こんないい加減な志望動機、そして就職活動の割に今の仕事はそこそこ面白い。もちろん嫌なこともある。ヒトの数だけ嫌な事がある、といえるほど、人間が嫌いになりつつある。けど、以前の仕事のように「もう嫌だ。」とかは不思議と思わない。少々気性が荒くなってきてるが・・・(笑)。
職場も1年もしないうちにコロコロ変わるのがσ( ̄。 ̄) オイラには良いみたいだ。

ただ、今の職場はしゃれにならんほどシンドイんだが・・・。


30歳もこういうのが続くんだろうと思う。ってか、大阪で暮らすってのは幸せなのか?と最近思ったりする。もう少し田舎でもよいんじゃなかろうか?と。


30歳に予定されてるイベント
安全運転大会出場予定
土日休みシフトを駆使してライスク生活復活
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何も無い・・・orz。