芸は身を助ける

上記した追突しかけの件だが、なんていうか分からんね。公道上の安全というものは。今自分が生きているのは普段安全運転しているからなんて言えない(俺はかなり安全運転してるほうだと思うが、嫌、そうでもないか。)。万に一つの可能性の現象が実際自分に起こって、それでも自分は無傷でいられているのはもう運としかいいようがない。

R171のとある交差点。俺は、一台のワゴン車の後方を車間距離15mは開けて走っていた(開けてというよりは開いていた)。このワゴン車が交差点手前で減速した。俺は当然左折するだろうと考えた。指示器も出てたし。俺は、減速しようとブレーキをかけるが、路面はウェット。以前、前方の車の減速にあわせて自分も減速したそのとき、超低速にもかかわらず凍結路面を踏んで転倒した記憶が頭をよぎる。目の前にはマンホールと白線だらけ。とっさに、フロントはだめだ。リヤで減速しようと考えた。リヤなら多少滑っても一気に転倒することもあるまい。ところが、タイムリーに俺はリヤブレーキのペダルを低く設定したところだった。リヤの効きが弱い(もともとこれが狙いだったのだが)。いつもなら、左折車の後ろで停止するのだが、十分な減速ができない。ここで、気合一発Fブレーキで減速しようか?しまいか?一瞬迷う。すると、もう、ワゴン車は目の前であった。ここから、体が勝手に反応した。減速をあきらめブレーキをリリース。その後、回避を試みたのだ。間一髪というよりかなり余裕で回避できた。おそらく、講習会でさんざんスラロームをやったのが体に染込んでいたのだろう。この出来事がもし、免許取りたての頃に起きていたら減速にこだわってそのまま追突か、減速しながら変にハンドルをこじって転倒したかもしれない。あるいは、何も恐れずに普通にブレーキをかけてもいたって普通に止まれたかもしれない。いろいろな可能性があり、俺もいろいろ考え、結果俺は生きている。

別の日、気持ちよく100km位で飛ばしていると、後ろからフェアレディーZが猛スピードで追いついてくる。俺はらくらくスピード違反なのだが、その俺にみるみる追いついてくるZは、いったい何キロでていたのか?ここは、高速や中環のような道路ではないとだけ言っておく。俺は後方のZに気をとられコーナー侵入時に十分な減速が出来なかった。当然膨らんだのだが、不幸にもその時対向車が・・・。対向車が見えた瞬間マジで、「死んだ。」と思った。同時に、車を飛び越えガードレールの向こうにすっ飛んでいく自分が想像できた。俺は、必死に減速しようとブレーキをかける。そこで、死ぬと思ったのとは違う俺が出てきた。「下りのヘアピンでブレーキかけすぎて曲がれなくなってただろ!!・・・。目線もガードレールに行ってただろ!!」何故か標準語で語りかけてきたのだが・・・。俺は、とっさにブレーキをゆっくりリリース(狙ってゆっくりしたのではなく、体は止まりたいと言っておりブレーキを握ろうとするのだが、ブレーキかけすぎるとフロントが立ってきて曲がれないので、曲がるにはリリースしないと・・・。と、頭が考えるという葛藤のなかで結果としてゆっくりリリースしている)。バイクは少しずつ曲がり始め、最終的には対向車の10cm横ぐらいをすり抜けていった。対向車も減速してくれていたのだろう。この事件の少し前に、HMSブレーキは軽く長くというのを学んでいたために出来たことだと自分では思っている。

結局何がいいたいのか良くわからんが、この文章は未来の自分へ書いておく。ただ、講習会等で自分の技術の限界値を高めるなり、知っておくことは役に立つということは言っておきたい。
もう一つ、さんざん転んでみて思っていることがある。「ヒヤリハットは所詮ヒヤリハットで済んでいる」ということである。ネット上にはいろいろなヒヤリハットの事例が報告されている。確かに、これら事例と全く同じことでヒヤリハットで済まないことになるかもしれない。しかし、所詮ヒヤリハットである。これくらいは、注意していればなんとかなるのである。俺が問題にしているのは、ヒヤリハットの合わせ技である。
たとえば、信号待ちの左側を安全にゆっくりすり抜けているとしよう(推奨されるものではないかもしれないがとりあえず・・・。)。ゆっくり走っている上に余裕も十分であるとしよう。右側から原付なり小さなバイクなりがいきなり現れたとしよう。このライダーは当然余裕でブレーキをかけ、心の中で「危ないな。このヴォケが!!」なんて思いながらも停止できるはずである。ところが、この時路面が凍っていたらどうだろう?余裕で止まれるはずが、スッテンコロリンといってしまうのではないか?さらに、こうしたことを経験済みのライダーなら右から現れるバイクを確認しつつ、自分のブレーキングポイントをも確認して止まるのだろうか?ところが、この時、前方に余裕がなかったらどうなるのだろうか?
俺は、自損事故しか経験がないが、事故する時って、自分が注意するしない以前になにかしら見えない力がすでに働いているために起こるような気がしてならない。もちろん、そんな力は客観的には存在しない。しかし、主観的には存在しているように感じる。極端にいうが、「なぜその時その瞬間、その道路を走っていたのか?」といったことである。事故った本人にはいろいろ事情があったり考えがあったりするのだろうが、結局事故ってしまった感じ。
以前、凍結路面で転倒したときこうしたことを考えた。なぜ、その日に限ってるり渓になんて行ったのか?偶には、別の道も開拓しようなんて考えたのか?さらに、知らない道だからゆっくり走ろうと思い、実際ゆっくり走っていたのに・・・。当時の俺が出来る限りの安全を尽くして走っていたのに・・・。未熟だったといえばそれまでである。しかし、しかしである・・・。
俺的に用意しているこうした事故への対処方法は、一つしかない。「バイクに乗らないこと」である。これしかないでしょう?しかし、そうも行かないから俺はお金をかけて練習する。将来必ずくるだろう、人生最大のピンチに備えるために・・・。
おおげさか・・・。